格物遅々

読書の防備録のはず……

『伝習録』中公クラシック 訳・溝口雄三

 

 

伝習録 (中公クラシックス)

伝習録 (中公クラシックス)

 

 『伝習録王陽明の弟子が師匠の言ったことをまとめた本。

上中下編があり、弟子の質問に陽明が答える方式の儒家お得意のスタイル。

書かれていることは「心を澄みやかにしていれば間違えることはない」というのが主な内容。

 

陽明学の主な思想として「格物到知」といったものがあるが、弟子との質疑を通してそうした概念を精緻にしようとしていたように思う。

王陽明は彼以前の学者と比べ『論語』より『大学』を重視していたとのことなので今度触手を伸ばしてみる。

 

以下は気に入った部分の抜粋

上巻.六(p24)

「性は心の本体であり、天はその性が淵源するところである」

性のままに従えば天命に近づくというようなことが書いてあり、諦めも含めた感情が沸いて、心がいろいろ楽になった。

上巻.二四(p49)

「下学とは、目で見え、耳で聞こえ、口で言え、また心で考えることができるものを(学ぶことを)いい」

このあと、目に見えないことを学ぶことを上学といいと続く。これに関してはなんだかなあと感じた。あたしは下学の徒でいいやと思った。

 

今後の読書に対する姿勢について

この本読むのに約一か月かかった。これを読んでいる間、ほかの本も二三冊読破したような気もする。やはり古典は重い。読むのにエネルギーを予想以上にとられる。次にこれと同じくらいの重さのものを読むときは(例えば専門知識の入門書など)一日に読む時間を決めて一定のペースを作った方が読破までにかかる期間は少なくなっていただろう。これは次からの教訓にする。

(そういえば陽明学に関する解説書も目を通すだけで一か月かかった気もする。)

amazonの履歴を見たところこの本なんと三年も積んであった。こういうものは後々の思いの汚れ滓になるので早めに消化しよう。

『寝ながら学べる構造主義』①目的と事前知識

このブログで最初に読むのはこれ。

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

著者は内田樹。倫理哲学者。自民党批判の西の横綱というイメージが大きい。元々大学の教授だったが、今は神戸にある自身の道場の師範をしているとか。

この本を読みたいと思ったのは純粋に「構造主義について知りたいから」である。

社会学部の人たちと話していると「構造主義」やら「ポストモダン」といった言葉がよく出てきた。これらの言葉の意味はよくわからなかったがこれを語る人たちはとても楽しそうでまだ私の知らない世界があるようだった。それらの世界を覗いて見たいから私はこの本を読みたいと思った。

目次を見た限りではこの本は時代ごとに主だった思想家を紹介してその思想をたどって行く形式を取っている。この中で私が触れたことがあるのはフロイトラカンぐらいである。フロイトについてのイメージはいわゆる「男根のオマージュ」おじさんといった感じだがラカンについては昔、シェーマLをなんとなく理解してなるほどなと思った覚えがある。

私の持っている知識のなかでこの本に関係あると思われるのはその程度である。

現時点での「構造主義」についてのイメージはマイ宗教を持った人々のの多神教のような徹底した相対的な価値観であるということである。同じく「ポストモダン」については衣食住が足りてしまっている現代社会において人々は自身のアイデンティティーを消費によって獲得すると言うようなことは聞いたことがある。

以上の知識は構造主義の限られた一面かもしれないがそれらの知識がこの本を読むことよってどう変化するかそれともその通りなのか。ゆっくりとまとめていきたい。

このブログを作った目的

今年度、無事大学を卒業しました。

一年生のときサークル勧誘の金髪のニーチャンに大学で何したいのと聞かれました。私は「めいいっぱい読書がしたい」と答えました。

4年間の総評としては人並み以上にはよく文字を読んだと思います。

ただ、残念だったことはそれらが自身の糧になっているのかという点ではやや疑問があることです。量は読んだが残るものは少なかった。その原因はただひとつ「咀嚼」が少なかったことにつきると思います。

ですからこのブログにおいては「読む目的、得られるであろう知識」を明確にした上で読書によって何を得たのかを「客観的に」書くことによってより深い理解と知識の定着を図ります。

もし私以外の読者がいてこれから書かれるであろう文章たちに何か感じることがあれば大変嬉しく思います。

2016/4/24 5:40